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中国紙幣の価値?蟻鼻貨の種類など高価買取する業者をご紹介!

中国紙幣とは?
概要や種類を紹介

中国貨幣の歴史は古く、紀元前16世紀頃の殷の時代には貝が貨幣として用いられていました。また、宋王朝の時代には、世界初となる紙幣が発行されていることもあり、中国は貨幣経済の先駆け的な存在だったといえます。中国では時代の流れに伴ってさまざまな通貨が用いられており、これらを所有している人の中にはその価値が気になる人もいるのではないでしょうか。この記事では、中国紙幣や貨幣にはどのような種類や特徴があるのかについて紹介します。

中国紙幣・貨幣の概要

中国で初めて貨幣が誕生したのは、紀元前16世紀頃の殷の時代です。この時代は、商品価値や素材としての価値があったとされる貝が貨幣と同様の位置づけで用いられていました。続く春秋時代や戦国時代には、貝に代わって青銅で作られた貨幣が使われるようになりました。中でも蟻鼻銭と呼ばれていた貨幣は、希少性があるため高い価値を持つとされていた「たから貝(子安貝)に似せて青銅を素材として作られたものです。形状が蟻の顔を連想させるものであったことから蟻鼻銭といわれていました。青銅製の貨幣は、作られた時代によって形状や名称も異なっており、刀の形をした刀貨や鍬の形状をした布貨などがあります。日本の5円や50円通貨の原点は秦の時代に作られた環銭で、円形の貨幣の中心部に正方形もしくは円形の穴が空いた形状です。中国貨幣の種類や特徴については、後ほど詳しく解説します。

中国紙幣・貨幣の価値を調べる方法

現行で流通している貨幣以前の中国貨幣や中国王朝の貨幣は、発行されたときから長い年月が経過しています。発行された年代が大変古いことから、総じて高い価値があると判断されることが一般的です。ただし、価値判断については保存状態が大きく左右します。汚れや欠けなどが見られるなど保存状態があまり良くない場合は、古銭の買取り業者によっては価値を低く見積もる場合がないとはいえません。しかし、だからといって洗浄することは避けたほうが無難です。古銭を評価する際には、どの時代のものであるかが価値判断につながります。そのため、汚れているからといって洗浄してしまうと、手を加えたと判断されて価値が下がってしまうのです。たとえ汚れていたとしても、その汚れに価値がある場合も見受けられるため、簡単に判断することはできません。中国貨幣の正しい価値を知るには信頼できる買取り業者に鑑定をしてもらいましょう。

中国紙幣の買取りおすすめ業者の紹介

おたからや

「おたからや」は、全国展開している買取業者です。南は沖縄、北は北海道まで店頭買取ができる店舗があります。運営元は、神奈川県横浜市に本社を置く株式会社いーふらんです。店頭買取以外にも、出張買取や宅配買取に対応しています。いずれの買取方法を選んでも、査定のための手数料や品物をやり取りする際の送料などはかかりません。

また、本社に査定のデータやノウハウが集積されており、各エリアにある店舗とリアルタイムで情報を共有しています。査定員は専門的な研修を受けたプロがそろっており、古銭の価値もしっかり見極めることが可能です。ものによっては、他社よりも正確に価値を把握することで、より高値で買い取っているケースもあります。

中国紙幣・貨幣の主な種類と特徴

歴史の長い中国には、さまざまな貨幣があります。中国貨幣の古銭といっても硬貨もあれば紙幣もあり、作られた時代も異なるためひとくくりにすることはできません。ここからは、主要な中国貨幣の種類や特徴について解説します。

貨泉 王莽銭(かせんおうもうせん)

貨泉 王莽銭は、新の時代に作られた銅銭です。王莽が西暦14年(天鳳1年)に第4次貨幣改革の一環として発行しました。円形の貨幣の中心に四角い穴が空いており、右側に篆書体で「貨の字、左側に「泉」の字が刻まれています。なお、王莽は第3次貨幣改革で6系統28種類もの貨幣を発行していますが、あまりに種類が多すぎたため人民は戸惑い、貨幣経済も混乱してしまいました。そのため、第3次貨幣改革から4年でこの制度を辞め、貨布と貨泉という2つの貨幣を発行するに至ったという経緯があります。貨泉王莽銭は中国本土だけでなく日本の弥生時代の遺跡からも出土しているため、弥生文化の年代を推定する基準とされているのです。年代的に古いものではあるものの、素材が銅であり原価が高価ではないため、それほど高い価値を持っているわけではありません。ただし、海外のコレクターの間からは人気を得る場合もあります。

蟻鼻銭(ぎびせん)

蟻鼻銭は、またの名を貝銭と呼ばれています。中国の春秋戦国時代に江南地方の楚において鋳造され、流通した貨幣の1つです。金属が流通する以前に貨幣として用いられていた子安貝を模して作られています。殷の時代から戦国時代まで、貝を模した貨幣が多数作られてきました。蟻鼻銭は貝貨の最終的な形と考えられています。形が蟻の顔に似ていることが蟻鼻銭と呼ばれていた由来です。形状は楕円形で、表面は少し膨らみがあり、裏面は平らな形をしています。サイズは長さが約1.5~2cm、厚さが約2mm、重さが約2.5gです。表面に刻印されている文字は6種類ありますが、その字義については明確になっていません。また、端に穴があるものも多数を占めています。河南省、安徽省、江蘇省などでしばしば出土されている貨幣です。鋳造されてから長い年月が経過していますが、銅を素材としているため、さほど高い評価はなされていない傾向にあります。

刀銭(とうせん)

刀銭は、中国の春秋戦国時代に、現在の山東省周辺にあった斉や北京周辺にあった燕などで用いられていた貨幣です。小刀を模した形で青銅を素材として鋳造されており、刀泉と呼ばれることもあります。刀銭の種類はとても多く、その形状によって斉刀、明刀(方首刀)、尖首刀、円首刀、の4種類に分類可能です。その中で最も大きいのは斉のもので斉大刀と呼ばれています。尖首刀は先端がとがっており、円首刀は背側がまっすぐで先端が丸みを帯びており、明刀には「明」の字を判別することが可能です。刀銭が鋳造された地域においては、湖や川などが多くあったことから、狩猟や漁を行う際に小刀が使われてきました。そのため、刀を模した貨幣が作られたと考えられています。刀銭の中にはレプリカもあるため、本物か偽物かを正しく判断するためには専門家の鑑定を受けたほうがよいでしょう。

布貨(ふか)

中国の春秋時代には青銅を鋳造した貨幣が用いられており、布貨もその1つです。布という字が入っているものの、布ではなく農作業で用いる鍬を模して作られました。晋、斉、韓、魏、趙、燕において主に用いられており、布銭、布幣とも呼ばれています。紀元前8世紀頃の中国では、青銅製の道具が貨幣として扱われていました。道具そのものでは扱いにくいため、より扱いやすくする目的で道具の形をまねて小型化し、重さや形を均一にしたものが貨幣として用いられるようになりました。布貨には2種類の形状があります。初期の頃に作られていた空首布は、本物の青銅器のように柄を取り付けることができました。後に作られた平首布は簡略化されたデザインになっており、平面的なのが特徴です。平首布の上部に空いている穴にひもを通して束ねたり、小判のように重ねたりして用いられていました。

五銖銭(ごしゅせん)

中国で前漢の武帝の元狩4(紀元前119)年に三銖銭をとかして五銖銭を鋳造したのが最初とされています。銖とは重さの単位のことで、1銖は1両の24分の1、0.65gとなっており、五銖銭は3.35gの重さです。表面に五銖の銘が表記されており、右側に五、左側に銖があるのが一般的ですが、逆の配置になっているものもあります。貨幣には縁取りがなされており、中心に四角く穴が空けられているのが特徴です。当初は各郡国でも鋳造が行われていましたが、紀元前113年以降は中央政府のみで鋳造することとなり、貨幣制度の安定につながりました。五銖銭は前漢から後漢、蜀、魏、西晋、東晋、斉、梁、陳、北魏、北斉、隋に至るまで700年ほどにわたって踏襲されています。歴代の中国貨幣の中で最も歴史が長く続いた通貨です。621年の唐の時代に開元通宝が発行されるまで通貨として流通しており、銅銭のモデルとして位置づけられています。

半両銭(はんりょうせん)

戦国時代の貨幣は中国全土で共通したものではなく、国ごとに異なったものが用いられていました。紀元前350(孝公2)年、秦の時代に貨幣単位として両銖制が定められています。1両=24銖=15.6gが基準となる単位です。半両銭自体は紀元前336年もしくは335年の恵文王2年に発行されたといわれています。秦の始皇帝によって国家統一がなされたとき、国家統一事業の一環として紀元前221年に、半両銭を通貨に定める貨幣統一を行ったのです。半両銭は、紀元前118年に武帝が五銖銭を発行するまで、秦から漢の時代まで広く流通していました。半両銭の名称は、重量が半両(12銖)であったことが由来です。半両銭は、円形で中心に四角い穴がある青銅貨幣で、表面に「半両」という文字が刻まれています。日本でも複数枚数が出土している貨幣ですが、中にはレプリカもあるため専門家に鑑定を依頼することが望ましいです。

法幣(ほいへい)

法幣とは、法定貨幣を略したもののことです。1935年11月に中国国民政府がイギリスやアメリカの支援を受けて幣制改革といわれる貨幣制度の改革を行いました。そのときに政権を握っていた蒋介石のもとで中国の貨幣として発行された銀行券(紙幣)を法幣といいます。法幣は、中央、中国、交通、中国農民といった政府系銀行4行によって発行され、銀貨に引換えができない不換紙幣です。法幣を法定通貨として定める代わりに他の貨幣を流通禁止にし、経済の中央集権化を目指しました。しかし、日中戦争や内戦の戦費をまかなうために法幣が大量に発行されたため、インフレーションが急激に進み、貨幣価値が大幅に下落しました。そのため、1948年8月に蒋介石は再び幣制改革を行い、新たに金円券を発行し、もともとの法幣は300元=金円券1元に交換されることとなりました。

交鈔(こうしょう)・中統元宝交鈔 (ちゅうとうげんぽうこうしょう)

交鈔とは、12世紀から14世紀に中国の宋、金、元、明の各王朝で発行され、流通した紙幣のことをいいます。それぞれの王朝によって呼び方は異なり、宋では交鈔の他に交子、会子、銭引といわれていました。金や元では交鈔、明では宝鈔と呼ばれ、これを省略して鈔と呼ばれることもあります。交鈔という名の紙幣自体は金の時代からありました。金が北宋を滅ぼして華北を支配した際、銅が不足していたため銅貨を発行するのが困難だったのです。そのため、宋の交子に倣った交鈔が発行されることとなりました。しかし、交鈔は大量に発行されたことによりインフレを起こし、それがきっかけとなって金の滅亡につながったのです。モンゴル帝国が金を滅ぼし、第5代皇帝クビライが元を成立させた後の1260年(中統元年)に、通貨の統一を目的として中統元宝交鈔が7万3000錠(365万貫)発行されました。

交子・会子(こうし かいし)

交子とは、中国の北宋時代に四川地方で発行された世界最古の紙幣です。元々は、鉄銭が通貨として用いられていました。しかし、重いが故に持ち運びがしづらく、銅銭と比べて価値も10分の1しかなかったことから、その不便さを解消する目的で商人の組合が約束手形として交子を発行しました。交子は当初、商人たちによって私的に発行されていましたが、1023年には政府が官営で発行することを決め、私的に発行することが禁じられました。当初は手形だった交子はこの一件をきっかけに紙幣となりました。後の南宋時代に発行された紙幣は会子といわれています。交子も会子も不足している銅銭を補填する目的で発行され、銅銭との引換えが可能な兌換紙幣でした。しかし、政府によって大量に発行されたことによりインフレーションが起こり、貨幣価値も下落して流通しなくなりました。